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柔らかく控えめ。でも強い。

JUMP、知念さんについて語るだけのブログです。Twitter→@jump_c_riri

卒業の時、知念さんはどんな想いだっただろう。

明日、私は高校を卒業する。

 

 

以前も多分書いたけど、私はダンスをやっていて将来の進路もその道に進もうと考えており、学生時代のほとんどがダンスメインで学校が疎かになった時 (知念たちほどの生活ではないが)もあって。

 

 

その時々の年齢にしては大人の世界も知っていたし、だいぶ大人びた可愛くない子供だったと思う。

 

 

 

学校の友達や空間だけが私の世界ではなくて。

 

 

 

学校の友達と遊ぶより、ダンス。

 

 

ずっとそんな生活だったけど、まったく不満もなかった。

 

 

 

私とはまったくスケールは違うから比べるのは申し訳ないが、知念さん達も学生だけではない一面にも大きな世界があって。

 

 

遊んでいるどころか学校に毎日行く暇もないような生活で。

 

 

彼らは、なんで高校に行ったのだろう。

卒業した時、その3年間をどう思ったんだろう。

 

 

 

いざ自分がその状況に置かれると、何かが少しだけわかった気がする。

 

 

 

知念さんが昔インタビューで「高校には行かなくてもいいんじゃないか」と言っていた。

 

 

 

芸能界でやっていくのだから、その道を極めた方がいいのではないか。

 

 

それでも知念さんは結局高校に行くことを選択して。

 

 

 

もしかしたら知念さん達は、「芸能界」という世界しか知らないから。

 

 

世界を広げるための高校生活だったのかな。って。

 

 

 

仕事の休みには学校があって。

仕事が入れば学校なんて全然行けなくて。

 

 

 

何もない休みなんて高校3年間にあったのだろうか。と心配になる程。

 

 

 

それでも、

 

 

 

「楽しかった。行ってよかった」

 

 

 

 

そう言える高校生活だったんだなって。

 

 

 

満足に通えなくとも、少ない時間でも何かを得られる高校生活だったのなら、その3年間は全く無駄ではなかったんだなって。

 

 

 

直接は関係ないことでも、いつか必ず役に立つ。

 

 

 

私にとっての高校3年間もそんな自分の身になるものだったか。

 

 

 

振り返っても答えは出なくて。

 

 

 

全然実感も湧かなくて。

 

 

 

それでも、思い出すのは楽しいことばかりで。

 

 

 

 

なんでだろう。辛かった事、嫌だったこともたくさんあったはずなのに。

 

 

 

 

あぁ、もしかしたら知念さんもこうだったのかな。

 

 

 

 

この3年間は身になっていただろうか?充実していただろうか?

 

 

 

実感なんて湧かない。

 

 

 

なのに、楽しかったな。

 

 

 

今はそれだけ。でもいつかそんな思い出が頑張る糧になって、自分を支える柱になって。

 

 

 

今以上に大きな存在になっていくんだろうな。

 

 

 

「意味のあるものにするかしないかは自分次第」

 

 

 

知念さんはきっとこう思いながら、勉強も仕事も全力で楽しんでやってこれてるんだろう。

 

 

 

高校で終わりじゃない。やっとスタートだなって。

 

 

 

だから私も今、寂しさよりもこの先へのワクワクの方が大きい。

 

 

 

いつか、高校生の経験がどこかで生きるかもしれない。

 

 

 

そんな日のために、今はこの想いを大事にしまっておきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

(少々センチメンタルな気持ちで書き始めたから本当に何が言いたいのか分からなくなったごめんなさい)

 

 

李々華

 

知念さんに演じてほしい役柄まとめ

淡々と語るブログが好きです。

 

 

多分私もそのタイプだと思います。(たまにヒートアップしちゃってすごいテンションになるけどね)

 

 

ってか深夜とかお昼頃とか見にくい時間に更新する癖なおしたい。まぁいいや。

 

 

金メダル男の上映期間も終わって、知念さん怒涛のお仕事ウィークがひと段落してしまいました。(と言うブログを書くには遅すぎる)

 

 

そろそろ連ドラが恋しいなぁなんて。

 

 

毎週1回は知念さんの姿をテレビで見れる幸福感。

 

 

映画とはまた違う嬉しさがあります。

 

 

 

知念さんって、「冷静」「冷徹」「頭脳明晰」

 

 

見た目の可愛さとは裏腹に、こんな言葉が似合ってしまう。

 

 

私はそんな言葉を可愛い顔で隠す知念さんが好きなのだ。

 

 

山田さんが"グラスホッパー"で蝉を演じたのはいつの話だったか。

 

 

基本的に映画を見る前に小説を読むのだが、今回はその続編の"マリアビートル"までダーっと読んでしまうほど引き込まれた。

 

 

 

そして1人の登場人物に心奪われた。

 

 

'マリアビートル'に出てくる「王子」

 

 

彼は確か14歳の中学生。

 

 

頭も良くて冷静で。そしてサイコパス

 

 

 

育ちの良さそうな服を着て、上手に子どもらしく、上手に頭良くいられる器用さと、世界の全てを分かっているような態度で大人でも平気で見下す残酷さ。

 

 

これは知念さんにしか演じることはできないだろう。そう感じて、ずっと頭の中で小説のシーンが映像になる瞬間、知念さんが出てくるのだ。

 

 

絶対似合うはずなのに、こんな役は来たことなくて。

 

 

まぁ大衆に認識されてるキャラクターとは少し違うか。

 

 

でもそのくらい思い切った役が来ればいいのにって思ってる。

 

 

 

あ、でも連ドラなら鈍臭くてバカでどこにでもいるちょっとアホな高校生役やってほしい。瞬太みたいなね。(瞬ちゃん大好き人間。)

 

 

 

可愛い顔に似合わない小悪魔な一面が出せる役が出来たらいいなぁって思う。

 

 

イチコロじゃない?小悪魔可愛い男子が嫌いな女性ってあるのかな??←まぁまぁいる。

 

 

 

だからけっこうブラックなストーリーのドラマにキャスティングされたらいいなぁ。

 

 

ブラックな、正義じゃない役ってやっぱり普段からは想像できなくて、だからこそやってほしい。

 

 

題名にはまとめなんて書いたけど、正直今知念さんに演じてほしい役ってそれぐらいしかなかったごめんなさい。

 

 

 

でも題名を変えるつもりはないよ。

 

 

 

 

マリアビートル実写化しないかなぁ。まぁでも14歳の役だから流石に知念さんにオファー来ないか…。

 

 

 

 

 

残念。

 

 

 

 

では。(いやどんな終わり方)

 

 

 

 

李々華

 

「誰かが僕の背中を見て焦ってくれたら」

また好きな言葉に加わった。

 

 

 

基本的に知念さんの使う言葉のチョイスは私のツボをおさえているのだが。

 

 

知念さんの言葉って、ジーンと感動する格言と言うよりかは、「あ、たしかにそうだ」って当たり前のことだったり、芯をついてはいるけどみんなが上手く言葉にできなかった気持ちを代弁してくれてるような気がする時がある。

 

 

今回もそう。

 

 

「先輩の背中を見て」

「憧れの背中」

 

 

"背中"ってよく憧れだったり尊敬を表す時に使う用語だと私は思ってて。

 

 

だからそこに"焦る"という言葉をチョイスする知念さんにいい意味で違和感を感じて。

 

 

人の背中を見て、ボーッと憧れているようじゃダメだよなぁって。

 

 

その時点で追い付く気がないような。もともと負けているような。

 

 

 

さっきまで横にいたはずの人の背中が見えたら、誰だって焦る。

 

 

「あれ?置いていかれてる?」って一生懸命その背中を追いかけて追い抜こうとして。

 

 

身近な人ほど憧れていられるほど余裕なんてなくて。

 

 

きっと知念さんも、「誰かの背中を見て焦った」経験があったんだろうな。って思って。

 

 

昔は、冷静で年齢より大人びた考えの知念さんが、少し機械的な冷たいイメージが少しあって。

 

 

緊張しい

気にしい

人見知り

焦り

 

 

そんな思いが見え隠れする自分の背中を見せられる自信もなくて。

 

 

きっと知念さんも、そんな所を見せないように必死に隠してきたんだろうなって。

 

 

だけどそんな人間らしい感情を表に出せるようになった事になんだか心が温まった気がして。

 

 

大人になったんだなって。

自分の弱い部分をさらけ出せるほど強くなったんだなって思えて。

 

 

これまでは他人を見て焦ったり、比べて自分を気にしたり。

 

 

きっとこれからもそうやって行くんだろうけど。

 

 

 

焦ったり比べたりするだけじゃなく、そんな弱い部分も含めて自信をもって誰かに背中を見せられるような。

 

 

誰かがその背中を見て焦ってくれるような。そんなみんなが焦がれる魅力的な自分になっていけたら、きっと芸能人としても魅力的になるんだろうなぁ。

 

 

 

「憧れてくれたら」じゃなく「焦ってくれたら」

 

 

綺麗な言葉だけじゃない、現実的なこの言葉が知念さんにはとても合ってるような。

 

 

背伸びじゃない、飾らない精一杯の今の自分の言葉で。

 

 

 

そんな魅力に気付いて、恋焦がれて焦る誰かがきっといるって事。

 

 

 

焦がれると焦るは同じ漢字だね。今気付いた(急に)

 

 

 

 焦って急いで追いかけて。

 

 

 

まだまだ若いから。時にはがむしゃらに。そうやって高みを目指していけたらいいよね。

 

 

 

 

 

 

李々華

10周年(推され期)を迎えるにあたってのファンがすべき事。

JUMPキテル。。。

 

 

とここ2年ぐらいで着々と露出が増えたJUMPさんたちにみんな少しずつこう思っているのではないか。

 

 

もちろん私も。

 

 

1年にこんなにCD出せるの?!

アルバムが1年に1枚の頻度になった!

メンバー個人の仕事が増えた!

グループの冠番組も!

 

 

これまでの低迷期に慣れたJUMP担にはなかなかついていけない勢いだったような気がする(私だけ?)

 

 

しかしよく考えてみよう。

 

 

たしかに少しずつ人気は出ている気がする。

 

だけどそれはなぜ?急になにもせずに人気が出てきたわけじゃない。

 

 

紛れもなく、推され期のおかげだ。

 

 

人気(売り上げ)の少なかったJUMPがこんなにもたくさんCDを出せたのは、これから売れていくための投資として事務所が予算を出してくれているのだ。(私の勝手な予想ではあるが、多分そういう事だと思う)

 

 

と、いうことは。

 

 

事務所は、この力もお金もかけているこの期間に芽を出して貰おうと考えているわけだ。

 

 

これでどんどん人気になれば、これからは予算もこれまで以上に多くなるし、JUMP自身もやりたいことができるし、事務所も投資してた分を回収できるのだ。

 

 

そうやって会社は成り立っているのだから。

 

 

 

では、この期間に芽が出なければ?

ある程度軌道に乗らなければ?

 

 

これから先、今以上に力を入れて売り出してもらえなくなる。

 

 

するとどんどん露出ももっと若いデビュー組に取られてしまう。

 

 

JUMPには、今は"安定期"ではなく"挑戦"の時期なのだ。

 

 

 

ここでタイトルに戻る。

 

 

 

この"挑戦"の時期にファンがしなければいけないことは?

 

 

JUMPにはお金を稼ぐ力がある。

JUMPでないといけない。

 

 

そう事務所に思わせなければいけない。

 

 

雑誌にjumpが出れば売り上げが伸びる。

出演するドラマ・バラエティの視聴率が上がる。

 

 

やはり好きなだけではダメなのだ。

 

 

ファンがJUMPを"育てて"いかなければならない。

 

 

この意識が大事だなと思うんです。

 

 

JUMPの弱い所は、やはりファンの年齢層が低い事。

 

 

お金をかけてあげたくても難しい層が多い。

 

 

それでも、力を入れてもらってる今、なにか事務所に手応えを感じてもらわねばならんのだっ!!!

 

 

 

だから、最近勢いがある事で油断してるファンの子が多いなぁって少し思った(初回2を予約できなかった私が完全これ)から、やっぱり今頑張らなきゃなぁ。

 

 

 

もう!今!ファンも踏ん張りどき!!!って事だけ超いいたい。。私も頑張るから(なに様〜)

 

 

 

芸能人だし、アイドルだし、本人達だけが頑張るだけじゃダメだね。

 

 

さて。頑張りますか。

 

 

 

李々華

 

 

 

JUMPさんの事を考えてるうちに人生観に行き着いてしまう。

久々の更新だろうか。

 

 

over the topの初回2だけがどこでも予約できなくて結局ゲットできぬままの為テンションは低めです。(だれか2枚ぐらい予約しちゃってていらないから私に売ってくれたりしないかなぁ。)

 

 

と、いう事で。

 

 

私は知念さんの考え方について自分でも考えたりする。

 

 

フラットで飾らなくて。

 

 

「できない事も足りない事も人の個性ですから」

 

 

 

そんなこと言ったくせに人一倍負けず嫌いでできない事も足りない事も全然個性って割り切れなくて。

 

そうやって割り切って受け止めてる人がかっこいいなって。そう思うから自分に言い聞かせるみたいに当時は言ってたんじゃないかなって思います。

 

 

それでも、知念さんの「努力しない」生き方が大好きで。

 

 

世の中、ちゃんとその中身を分かっていないまま言葉に惑わされていることが多いと思う。

 

 

私の中で「努力」は、嫌いなものを一生懸命習得したり、どちらかと言うとマイナスなイメージが強い。

 

 

無理強いされているような、強制のような。。。

 

 

必ずしもいい言葉じゃないよなって思います。

 

 

同じ時間同じ練習をしたって、「努力」と思いながらやる人と、「夢中」で楽しんでやってる人だと、絶対「夢中」でやってた人の方が上手くなると思う。

 

 

「努力」には、どこかやらなければならないような義務を感じてしまうが、きっと義務で何をやっても上手くいかないと思うのだ。

 

 

 

義務と思うか権利と思うか。

 

 

 

やらなければいけない義務はある。だけどそれを楽しむ権利もある。

 

 

気持ちの1番前に「努力」があるか、「夢中」があるか。

 

同じ事を同じ時間やるとしても、その費やした時間が自分を通る時の気持ちや感覚のフィルターの違いで自分の中に溜まる質も変わってくる。

 

 

 

私は、何をやるときもいい質のものが自分に溜まっていけばいいなと思いながら生活している。

 

 

知念さんも、きっと努力はしているけど、自分の行動を包む表現が「夢中」ってだけできっと包まれた努力は笑ってて。

 

 

努力と思われた努力はなんかしかめっ面で辛そうで。

 

 

自分の努力の楽しみ方を知った方がきっと世界が明るくなるよな。

 

 

って知念さんを見て思います。

 

 

 

私が日々、疑問に思ってる事や、上手く言葉で表現できない気持ちをいとも簡単にサラッと言ってくれる知念さんの綺麗な言葉が好き。

 

 

綺麗で柔らかくて、なのに芯をついてて。

 

 

これからもたくさん気付かされることがあるんだろうって。

 

 

知念さんの言葉にはそんな不思議なパワーがある。

 

 

 

久々にブログ書いたら書きたいことが全くまとまらなかった。

 

 

これはこれでいっか。

 

 

 

では。

 

 

 

李々華

ダンスを揃えるということ。

ブログを書くには短いが、Twitterに書くには長い。

 

私は最近こういう問題に頭を悩ませている。

 

Twitterより長くてブログより少し短くていい媒体を使って欲しいものだ。(どこまで手をつければ気が済むんだ)

 

 

さて。今日はJUMPing carnivalのライブDVDを見ていておもった事を書こうと思う。

 

 

私情だが、私は10年近くダンスをやってきて、将来もその方向に進んでいこうと思っている。(JUMPさんたちと一緒に仕事がしてみたいと思っているがそう上手くは行かないものだな。)

 

 

そういう目線からJUMPやアイドルのダンスについて考えてきた。

 

ダンスというパフォーマンスで「揃える」というのは当たり前にみんながやっていく作業であって、これをしなくては作品として完成しない。

 

大人数であればあるほど、ダンスは揃える事に意味がある。

大人数でバラバラに踊っていたらただゴチャゴチャするだけ。その分揃えば鳥肌が立つような見てる人の心を動かすことさえできる。

 

ダンスも芸術であり、見てくれる人がいて初めて完成するものである。

どうせ見てもらうなら、見てよかったと思って欲しいものだ。それなら完成度はなるべく高いほうがいい。

 

ダンスも揃えたほうがいいと思っていた。

 

 

だがしかし、最近色んな先生の作品に自分自身が出てきて、小さな疑問が生まれた。

 

揃えるということは、自分が気持ちの良いように踊っていてはダメだ。

 

 

ダンスをやっていない人には少し理解しづらいかもしれないが、同じフリであっても小さな変化で見る人に与える印象は全く違う。

 

もう少し余韻を大事にしたい。

腕はゆっくり下ろしたい。

少し顔を残したほうがかっこいい。

 

揃えるという作業は、上のようなそれぞれの個性を、よく言えば統一、悪く言えば消す事になる。

 

その作品への想い、感情で踊っていたはずなのに、いつの間にか形が重視される事になる。

 

そうやって自分の感情を制限された踊りで、誰かに何かを伝えることができるのだろうか。

 

そりゃ作品だから、みんながバラバラな想いでバラバラに踊ることは良くないと思う。ある程度は揃えないと作品が完成しない。

 

そこのバランスはとても難しいと思う。

 

 

 

ここでJUMPの踊りについてに戻りたいと思う。

 

JUMPは今ダンスに力を入れており、確かに他のグループより上手で綺麗だと思う。

 

そのおかげでfantastic timeの様な踊れる曲を割り振ってもらえたのだとも思う。

 

 

しかし、ただでさえ9人もいて、個性を出すのも大変だというのに、ダンスを揃えた最近の踊りでは個性も何もない。

 

最初は、ダンスを一生懸命やる事がとてもいいことだと思っていたし、パフォーマンスが上がることはいいことだと思ってた。

 

SMAPは、「他の人のことは気にするな。」ダンスをちゃんとやらないメンバーの事がどうなのかと考えていた木村さんにマネージャーさんが言った言葉だそう。(合っているかは定かではない)

 

自分がカッコいいと思うパフォーマンスをやればいい。揃える必要はない。という事だと思う。

 

 

確かにSMAPダンスは揃っていない。だけど一人一人がちゃんとパフォーマンスをしているなと思う。

 

 

自分自身が自分自身をちゃんと演じて作っていて、そんな個々の5人が揃ってSMAPというパフォーマンスになっていた。

 

 

SMAPを真似すべきだとは言っていない。真似は1番よくない。

 

アイドルは、ダンスボーカルグループではない。アイドルなのだから。

 

こんな言い方はよくないと思うがストレートにいうと、自分自身が作品であり芸術だと思えば、自分がカッコよく自分らしく魅せられることが最大のパフォーマンスではないか。

 

 

ただ綺麗に踊って、形を揃えて。

そんな形だけのダンスは、パフォーマンスなんかじゃない。

 

 

ダンスが上手い人も、下手な人もいる。歌が上手い人も下手な人もいる。

それが許されるのはアイドルだけなのだから。

 

歌が上手いなら歌手でいい。ダンスが上手いならダンサーでいい。

 

自分たちがアイドルという集団に属していること、1番重視すべきなのはどこなのか。そこをもう少し考えるべきだと思う。

 

 

他のグループとのすみ分けは大事だと思う。だからすみ分けにJUMPがダンスを選んでくれたこと。それは嬉しいことだった。

 

 

ダンスを揃えながらでも、自分の色はもっと出せると思う。

 

だから"揃える"という事を頭に入れながらも、アイドルであり、自分をパフォーマンスする事は忘れないでほしい。

 

アイドルは綺麗に踊れていれば、揃っていれば正解ではない。

 

 

私は伊野ちゃんのゆるふわなダンスが好きだ。ゆるくて可愛いのにどこか色気があって、伊野ちゃんらしいなと思う。

 

知念さんのシンプルで綺麗で正確なダンスも好き。知念さんのダンスに惹かれてJUMPを好きになったから。

 

山田さんは自分がよく見える踊りを知ってるから、いつもカッコいいなと思う。

 

 

揃えるけど、揃えない。難しいけど、両立できたらいいなと思う。

 

 

下手でも成立する。甘えてる様に聞こえるかもしれないけど、それも一つの個性だ。

 

 

おバカキャラ。食レポ下手キャラ。

 

 

「できない事、足りない事も人の個性ですから。」

 

 

今思うと、核心を突いてるんだなぁって。

 

 

結局は歌って踊ってテレビに出る事が多いから。ダンスを揃える事で、個性をなくして欲しくないなと思う。

 

 

 

 

(結局突き詰めればダンサーという専門職には勝てないもん。)

ごめんなさい。死んできます。

 

 

 

ダンスは下手でもいいんです!!!!!アイドルだもの!その人たち自体が好きなんだから!!!!!!

 

ダンスを揃えるということ。単純じゃない、難しい問題だけど、そこを考えるレベルにJUMPがいるという事はファンとして誇らしいなと感じた。

 

 

でも、この前のゆとくん出演のメレンゲで、伊野ちゃんのダンスがJUMPの中でけっこう問題になっていると言っていたので、揃えればいいってもんじゃない!伊野ちゃんのダンスには伊野ちゃんの良さがある!!なぜかそこに危機感を感じたから、今回はこんな文を書いた。

 

 

伊野ちゃんの欠点は、ダンスのユルさではなく、ライブ分のダンスを踊りきる体力がないこと!!!!笑

 

 

ダンスは今のままで良いのになぁ。

 

 

山田さんも知念さんもゆーてぃーもけいとも大ちゃんもゆうやも伊野ちゃんも薮ちゃんもひかにゃんも。

 

 

皆んながカッコいいと思う踊りをした先が、揃っていればカッコいいよね?ぐらいの認識でいてほしいです。

 

 

 

ダンスって、奥が深い。

 

 

 

では。

 

 

李々華

 

このモヤモヤの真相

昨日、いや、一昨日の夜か。なにか語りたくなったが何について語りたかったのか全く分からず、とりあえずJUMPさんの好きなところを長々と書き連ねたことがあった。

 

そのモヤモヤは今の所無くなってはいるが、今度はなぜあんなモヤモヤが出てきてしまったのか。そこにモヤモヤしている。

 

これはJUMPさんについてではないが、きっと誰しもが感じたことのある気持ちについて書いていきたいと思う。

 

 

 日本語というのは美しく静かなもので、私は他の言語ではあまり見られない間接的で遠回しな言い回しが好きだったりもする。

 

俳句や短歌のような決められた文字数の中に広がる言葉と音の掛け合わせの無限な表現を感じるのも好き。

 

 

しかし、言葉はたまに自分の想いを伝えるには少しばかり不器用な印象を受けることもある。

 

好きの最上級の言葉は何か。

可愛いの最上級の言葉は何か。

 

さらに私達は、既存の言葉に自分の感じた想いを重ね、それを感情としてきた。

 

だから実は、他の人が"好き"という言葉に重ねた想いは、私には"好き"ではない言葉に重ねられている可能性がある。

 

まだ名前の付いていない感情が存在する可能性さえある。

 

私はきっと、"まだ名前の付いていない感情"を言葉にしようとして、だけど既存の入れ物ではどれも形が合わず、言葉にできなかったからモヤモヤしていたのではないかと。

 

 

 きっと面と向かってその想いを伝えるなら、その人の表情、動き。言葉以外の様々な部分でその想いの欠片を感じることができるだろう。

 

 

しかしこのような文章ではどうか。

 

 

やはり言葉以外で伝える術がないと、どこかぶっきらぼうな、冷めた印象を与えるような気がする。

 

 

私の気持ちはこんな言葉には収まりきらない!と何度も思って。

 

初めて芸能人を好きになって、私の中にある感情はいくつも増えたのに、それを形容するための言葉はずっと変わらずそこらへんにあるものを使うしかなくて。

 

 

いっそ新しく作ってしまいたいとも思ったが、やっぱり昔からあるものじゃないと、不思議としっくりこなくて。

 

 

知念さんが、「昔からある綺麗な言葉は残していくべき」みたいな事を言っていたことがあって(曖昧でごめんなさい。もしこれの本当の記事を見つけた方は教えていただけると嬉しい)

 

昔の人も、同じようなモヤモヤ感を持ちながらも、既存の言葉になんとか当てはめて、でもなるべく自分の気持ちを取りこぼさないように言葉を選んでいたのかなと。

 

 

そんな不器用な言葉だからこそ、私達は未だに愛して使い続けているのかもしれない。

 

 

好きでも嫌いでもない。YESでもNOでもない。そんな言葉と言葉の間の感情がたくさんあって。

 

 

そう思うと、もう少しこのモヤモヤを楽しんでもいいのかもしれないと、そう思った。

 

 

李々華