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柔らかく控えめ。でも強い。

JUMP、知念さんについて語るだけのブログです。Twitter→@jump_c_riri

このモヤモヤの真相

昨日、いや、一昨日の夜か。なにか語りたくなったが何について語りたかったのか全く分からず、とりあえずJUMPさんの好きなところを長々と書き連ねたことがあった。

 

そのモヤモヤは今の所無くなってはいるが、今度はなぜあんなモヤモヤが出てきてしまったのか。そこにモヤモヤしている。

 

これはJUMPさんについてではないが、きっと誰しもが感じたことのある気持ちについて書いていきたいと思う。

 

 

 日本語というのは美しく静かなもので、私は他の言語ではあまり見られない間接的で遠回しな言い回しが好きだったりもする。

 

俳句や短歌のような決められた文字数の中に広がる言葉と音の掛け合わせの無限な表現を感じるのも好き。

 

 

しかし、言葉はたまに自分の想いを伝えるには少しばかり不器用な印象を受けることもある。

 

好きの最上級の言葉は何か。

可愛いの最上級の言葉は何か。

 

さらに私達は、既存の言葉に自分の感じた想いを重ね、それを感情としてきた。

 

だから実は、他の人が"好き"という言葉に重ねた想いは、私には"好き"ではない言葉に重ねられている可能性がある。

 

まだ名前の付いていない感情が存在する可能性さえある。

 

私はきっと、"まだ名前の付いていない感情"を言葉にしようとして、だけど既存の入れ物ではどれも形が合わず、言葉にできなかったからモヤモヤしていたのではないかと。

 

 

 きっと面と向かってその想いを伝えるなら、その人の表情、動き。言葉以外の様々な部分でその想いの欠片を感じることができるだろう。

 

 

しかしこのような文章ではどうか。

 

 

やはり言葉以外で伝える術がないと、どこかぶっきらぼうな、冷めた印象を与えるような気がする。

 

 

私の気持ちはこんな言葉には収まりきらない!と何度も思って。

 

初めて芸能人を好きになって、私の中にある感情はいくつも増えたのに、それを形容するための言葉はずっと変わらずそこらへんにあるものを使うしかなくて。

 

 

いっそ新しく作ってしまいたいとも思ったが、やっぱり昔からあるものじゃないと、不思議としっくりこなくて。

 

 

知念さんが、「昔からある綺麗な言葉は残していくべき」みたいな事を言っていたことがあって(曖昧でごめんなさい。もしこれの本当の記事を見つけた方は教えていただけると嬉しい)

 

昔の人も、同じようなモヤモヤ感を持ちながらも、既存の言葉になんとか当てはめて、でもなるべく自分の気持ちを取りこぼさないように言葉を選んでいたのかなと。

 

 

そんな不器用な言葉だからこそ、私達は未だに愛して使い続けているのかもしれない。

 

 

好きでも嫌いでもない。YESでもNOでもない。そんな言葉と言葉の間の感情がたくさんあって。

 

 

そう思うと、もう少しこのモヤモヤを楽しんでもいいのかもしれないと、そう思った。

 

 

李々華